自分を客観視できるか

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自分のことに対する不利益や指摘にどのようにむきあえるだろうか。

生きやすくなるように身に纏ったもの

人は少なからず、自分に対するプライドや尊厳や自信をもって生きている。

それは、決して悪いことではない。

この生きている場所であなたのことに関するデータを最も蓄積しているのはあなただ。

だから、あなた自身が生きていけるように自身に自信や尊厳を身に纏うのは当然の現象で、

生きやすいようになる効果からもあなたが生きるということにおいて良い処理だと思われる。

ところで世の中って…

ただ、世の中、評価や指摘であふれている。

あなたは、おのずとどこかのグループに所属もしくは、分類されてそこで評価軸等と照らし合わさせられる。

その後、あなたに対する評価や指摘、報酬の上げ下げ等として黙認、実感できるように発露される。

ひとつ、注意したいことは、誹謗中傷や書き手のストレスのはけ口となるものと、評価や指摘は、

しっかり区別しないといけない。実際、これが、first stepだが、これについてはここではすでに習得&実践できてると仮定して次のステップへ行こう。

評価や指摘は自分にとってそのまま受け入れるのが辛い時もある

前述の内容により、評価や指摘はある程度、有意義な意味をもった文字列や音声データだと認識できているものとする。

ゆえに、評価や指摘は自分の具体的な行動や発信したものに対して行われているもので、うまく使いこなせば、

という素材ととらえることができる。

この素材をうまく活用したほうがいいに決まっている。

そういうふうに私は思っていますが、皆さんがどのように考えてるか、その考え方を尊重し、私の考えを押し付けるつもりはない。

が今回は、”この素材をうまく活用したほうがいいに決まっている。”の方針のもと次の話しに進む。

ならば、うまく活用するためにどうするか

そんな利用価値の素材とそのもとになる材料を普通に考えたら

純粋に紙に書き起こし、内容を具体的に思考&試行し、

ネットで根拠を調べ納得し、自分の適用箇所を認識し、そこの行動・考え方をupdateする。

それでよいと思う。正常ならそんなふうに対処するんじゃないかな。

自己流でもよいので自身の行動や考え方をupdateするに結びつけばOKでしょ👍

そんな材料をうまく処理することを妨げるものとは?

ここで、なんとはじめのトピック”生きやすくなるように身に纏ったもの“の一部が上述の処理を妨げるものになるという話。

自身の自信・プライド・尊厳に触れてそこを脅かすものと、評価や指摘を認識したくなるときがくる。

実際、それが正しいあなた自身の脳の認識の場合もある。

それは評価主が評価対象を自分のストレスのはけ口としてそれをした場合などで世の中、実際には場所によってはこれが多いのかもしれない。

わたしはこんなイメージをもっています(笑)

このイメージで話を進めてもいいですか?w

話ずれますが、害悪すぎる場合には録音やらなにやらしてデータを取得し、しかるべき場所に提出すればOKかと。

あなたフィルターの性能を良くしとこう

上記の図では、あなたフィルターを通して、分岐した”清廉な評価や指摘”(以後分岐➁)のみをあなたは対処すればよいので、それの精度をあげればあなたの対処に必要なタスクや心のダメージは最小化できそうです。

もしくは、処理能力をあげて、分岐②後の素材を力づくで処理しつつ、心のダメージ耐性?(HPと防御力)という手もありますが、それは覚悟があれば少しずつ上昇するのでひとまず、あなたフィルターの精度を上げることのほうが先決かと思います。

あなたフィルターの精度

ここでは素のあなたフィルターが持ち堪えそうにないときの対処法の例を挙げます。

①スパイ魂

スパイになったような、つまり成り切りましょう。

例えば、役者は相手を殺す役をしたりしますが、実際に人を殺したら心の消費エネルギーや倫理観キャパが崩壊しかねません、しかし役者は崩壊してません、それは演技しているからです。

あなたも、そのままでは材料を受けきれない場合には演技してみるのも手です。そんなに難しい演技じゃなくていいです、あなたが心にダメージを受けすぎないように演技するだけです。

あなたフィルターが壊れるほうが後々処理が面倒なのでそれよりは、あなたフィルターがこわれないように演技して、できれば客観視もできたら良いですね。

あなたに材料を与えている人とあなたをななめ天井から見て分析しているような第三者目線で客観視なんていうのもおもしろくてgoodです。

②論理的思考

そもそも、賢い人ほど、そんなごみが混ざった材料を提供しないです。

だから、あまりにもごみが混じっている場合には論理的思考でごみ材料をあたえる人の軌道修正をしていくのも手かもしれません。

分岐②後

あなたフィルターである程度、ごみが混じった材料を、多少は”清廉な評価や指摘”の純度が高い素材にできたとしてその後、あなたは処理する必要があります、受け止める必要もあります。

うまく活用したらよいものだと理性では理解していも、感性的に逃げたい、処理したくないということもあります。

例えば、失恋。それはあまりに大きすぎる素材を残します。あなたフィルターがほぼ機能できない状況であまりにも大きすぎる素材です。(笑)

一応、私なりに感性もリセットする方法を書きましたが、これは人それぞれかと思います。

①5キロ走る。筋トレで追い込む。(疲れすぎて感性とかどうでもよくなる)

②アニメみる。涙活する。(脳の意識をいったん切り替えることでもともともやもやしてた感性がキャッシュdeleteされる)

覚悟する。いろんな山や壁でもとにかく登り進める、その最中は苦しいが山頂や壁の向こうが必ずあり、そこは晴れていて清々しい空気が流れている、受け止めながら傷つきながら、はいづくばりながらそこを目指す、その覚悟でもって次々処理していく。

この記事をかくきっかけ

この記事は単純に給料明細みておもったより少し額が小さいことに気づいて書いたものです。

出張があってそこそこがんばったのに、おもったより少ないのは、単純に一日分出勤退勤処理をしてなかったからで、一日分だけひかれていたというものです(笑)

わたしは、以下のように処理しました。

あと、”分岐②後”の”③覚悟する。”の考え方、生き方は私は結構すきで、(もともとそういう性格でもある)

プログラマーとして大きなプロジェクトに参画して周りのプログラマーでもこの考え方を強くもっている人がPL(プロジェクトリーダー)やSL(セカンドリーダー)だった。

もしかしたら、私がプログラマーにマッチしたのは職業の文化としてのそこに深層で気づいていたのかもしれない。(※一方、多種多様を認める文化もあります。成果主義です、良い成果物をとにかく出せばOKです。)

1件の返信

  1. チネヌンコ より:

    初コメントです。

    相手が有能なら指摘を聞くが、そうでないなら無視。
    フィルターも、粗大ごみレベルの大きさが詰まれば機能しないのと同じで、
    生きていくうえでは少しくらい傲慢な方が丁度よいかもしれませんね。

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