――それは特殊な話ではなくてよくあるでも、怖い話
「適応障害」と聞くと、
メンタルが弱い人がなるもの、とか
特別な病気、というイメージを持つ人もいるかもしれない。
でも正直、自分はこう思っている。
適応障害の状態は、ほとんどの人が人生で一度は経験している。
ただ、それが診断名として可視化されたかどうかの違いなだけだ、と。
環境が変わった
時間が解決した
周りに支えられた
そういう理由で「病名」がつかなかった人も多いだけで、
状態としては、かなり多くの人が通っている。
自分が適応障害になった話
(原因そのものは、正直そこまで重要じゃない)
自分が適応障害になったきっかけは、とてもシンプルだった。
めちゃくちゃ苦手な人がいた。
その人と接する、
あるいはその存在を意識するだけで、
- 頭が痛くなる
- みぞおちがムカムカする
- 思考が一気に鈍る
そんな症状が出るようになった。
分かりやすかったのは、
その人がいなくなるだけで、1〜2日で症状が緩和することだった。
この時点で、
「自分の内面だけの問題じゃないな」
という感覚は、はっきりあった。
適応障害のトリガーになりやすい“人”の特徴
(※個人の経験+一般的な傾向)
医学的にも、適応障害は
「特定のストレス因子に対する反応」
と定義されている。
そのストレス因子は、
出来事だけじゃなく、人間関係も含まれる。
自分の経験上、そして職場ストレスの話を聞いていても、
適応障害のトリガーになる対象は ほぼ例外なく“人” だった。
しかも、分かりやすく怒鳴ったり、露骨に攻撃してくる人は少ない。
トリガーになりやすい人の特徴として、個人的に感じているのは、
- 外面がいい
- 周りの顔色をうかがい、うまく立ち回る
- 特定の相手に対してだけ、見えない場所で精神的に圧をかける
- 基本的に神経質
- 自分自身も何かしらの不幸や満たされなさを抱えている
- 問題が表に出そうになると、被害者ムーブに切り替わる
現代では、露骨な精神攻撃は減った分、
攻撃は陰湿で、気づかれにくくなっていると思う。
その結果、
「自分の感じ方がおかしいのでは?」
と、被害を受けている側が自分を疑いやすい構造がある。
当事者にとっては、正直こういう存在は 敵のように感じる。
実際、脳と身体はそれを「脅威」として処理している。
だからそう感じる自分がおかしい、ということはない。
まずやった対処:休むという選択
自分が最初に取った対処は、とても現実的なものだった。
最寄りの精神科・心療内科を受診した。
伝えたのは、
- 特定の対象がトリガーになっていること
- その対象を前にすると、明確な身体症状が出ること
ここはかなり重要で、
もし「原因が分からない」状態だと、
うつ病や統合失調症として判断されることもありうる。
自分の場合は、数回の診察のあと、
「一定期間の休養が必要」 という診断書を書いてもらえた。
それを職場に提出し、休職に入った。
これはズルでも逃げでもなく、
用意されている制度を正しく使っただけだと思っている。
休職期間の3か月は、想像以上に価値があった
正直、
「環境を変えろ」
「考え方を変えろ」
「ストレス解消法を見つけろ」
どれも正論だけど、
それができるなら、適応障害になる前にやっている。
だからこそ、
何もしなくていい時間が与えられる、という価値は大きい。
その3か月の間に、
どれか一つでもできれば、それで十分だと思う。
島に帰った話
自分は、いったん島に帰った。
兄弟や後輩と、気兼ねなく
ボケたり、つっこんだり、
自分の話し方や笑い方を思い出していった。
自然の中で体を動かすと、
階段の一段すら重かった体が、少しずつ戻っていく。
「もうこんな高い山の頂上の景色は見られないかも」
と思っていたけど、
またそこに立てた、という感覚があった。
深呼吸すると、
久しぶりに肺の隅々まで酸素が行き届く感じがした。
体力と一緒に、
自信も、感覚も、戻ってきた。
そこで見えてきた、新しい道
その頃から、少しずつ分かってきた。
自分は、
- 無駄に感情的で
- ロジックや根拠がなく
- 空気読みや属人的タスクが多い環境
が、苦手なんだということ。
逆に、
- ロジックが全ての基礎にあって
- 例外なく筋が通っていて
- 働き方が柔軟で
- 実力主義
そんな世界の方が、圧倒的に健全に生きれるということ。
そこで、
プログラマー/エンジニアになる
という意思が固まった。
「神経質」と「厳密さ」は、全く別物だと思っている
自分は今でも、
神経質すぎる人や、
エビデンスのない自分ルールを周りに強要する人
はあまり得意ではないが、男性に対してはいままでの、
寮生活や兄弟衝突&解決の経験から、そこまで脅威には感じない。
ただ、ここで言う「神経質」は、
- ロジックがない
- でも本人の固定観念を満たしたい
- それを他人にまで強要する
そういう性質のことを指している。
医師の診断基準の厳密さ
数学の証明
プログラミングの仕様遵守
これらは神経質ではなく、
むしろロジックが通っていて安心できる。
実際、
医学科の友達や、
東京大学・京都大学に行った友達と一緒にいて、
神経質だと感じたことはほとんどない。
柔軟で、論理的で、一緒にいると楽だった。
世界は一つじゃない
自分は、
鹿児島でトップクラスの高校にいた。
その経験から思うのは、
上の層に行くほど、無駄に神経質な人は少ないということ。
今苦しんでいる人は、
「上に行っても同じ人種がいるんじゃないか」
と不安になるかもしれない。
でも、少なくとも自分の経験では、
世界はちゃんと分かれている。
そこは何かを作り出す人類の衝突する通過点だとおもって柔軟にそしてしなやかにいこう
最後に
適応障害は、弱さじゃない。
環境、とくに 人間関係とのミスマッチに対する、自然な反応だと思っている。
悪化すると、
躁うつ病、双極性障害や統合失調症など、
その後の人生により大きく影響する状態に移行することもある。
だからこそ、
- 自分がおかしいと思わなくていい
- 早めに距離を取っていい
- 制度を使っていい
そう伝えたい。
これは、逃げじゃない。
自分を守るための、合理的な判断だ。
ただ、その時点では、精神的にも身体的にも余裕がなくて思考さえ機能しないかもしれない、
そういうときに、最低限の思考を回せるだけの”なにか”があなたのそばにある世界を僕も望んでいる。
返信がありません