徳之島の神秘体験っていう事業。
徳之島っていう場所と、自分っていう存在の信頼性、ユーモア
それを証明するのは簡単じゃあない。
だが、それにぶち当たるのは必須だ。
だから、ここで個人的に自分にとっての徳之島の存在意義を記す。
自分と向き合い自分自身を再度愛してみようと思わせてくれる空間 =>徳之島
個人的には、徳之島は都会や人が多いところで働いて心をヅタぼろに引き裂かれている程度が高い場合にこそ、自分自身を愛せないときにこそ、
徳之島はおすすめ。その回復効果が高まる。
自分を受け入れることができる。そのギャップでさらに自分を強く受け入れることが可能になる。
雑音のない自然の中では、電子機器も手放し、人目も気にせず自分とゆっくり、じっくり、しっかり向き合うことができる。
そして、その向き合ったあとの愛せる自分の状態で、島の後輩や友達と話すとたしかに自分はそのままでも他の人に受け入れてもらえると実感できる。
ここにきて、同じ自分でもいる場所によって価値がまったく違うように感じる。
1つの世界ではダメダメでも、また別の世界ではもう一回自分を愛そう、そのままで良いんだって思える。
能動的に受け入れる。ゆっくり受け入れる。その2つの受け入れ方を徳之島では選択できる。
自分の徳之島って場所の存在意義を初めて大きく自覚した出来事
高校生になって初めて、鹿児島市の高校に入学し
それまでいた島の学校とは違い、自分が表面上でしか受け入れてもらえてない気がした。
あとから分かったが、島だけが奥まで受けれる体制が早いだけで、
都会では表面だけを受け入れるのが普通で、
奥まで受け入れるのはもっと深い仲の人だけってことがわかった。
実際、自分も都会である程度長らく生活して、そうなる論理が理解できた。
いろんな人がいる都会で自分を傷つけうる人、後からややこしくなる人がいるなかで、
多くの人と、表面上よりも深く仲よくなるのがリスクがある、
だから自分を守るためのすべだと理解した
だが、高校生時点では、そのことも体感し理解しようとする過程で、自分のメンタルが耐えきれないこともあり、自分のこれまでの価値観を覆すことに疲れることも多かった。
そんな中で助けを求めるようにしつつも、自分の価値観を確かめれる存在を探しつつ、男友達とは徐々に理解していった。
女子とは思春期ということもありやはり距離があったが、
少しづつ仲よくはなっているようななっていないような感覚で確信が掴めずにいた。
その中で落としたプリントを渡した子に
「平山君はジェントルマンだね」と言われて気になるようになった。
これまで島で使ってきた距離感の縮め方は、使えない気がして、
どうやったら、表面上だけじゃなく心から仲よくなれるのか、わからず自分自身も学習とかもあまり身に入らなくなり、自身の迷子状態にもなり、空気嚥下症になりごはんをリアルに食べれなくなった。
その状態を終わらせるために、その子を3学期の終わりに図書館デートに誘った。
そして、始めはオッケーをもらったけど、当日の朝早くにやっぱり友達といくことになったと返信きて、自分的にふられた気がして、それが被害妄想で鹿児島市に居場所がない気がして逃げたくなり、徳之島行の船の切符をそのまま買い帰った。
やっと、自由になれた気がした。
霧の中だけど鹿児島という固定感や違和感の檻から逃げれた感が船の看板ですがすがしくて
それと同時に曇り天気の中、鹿児島で受け入れられなかった悲しさもあった。
船で1泊して、朝9時に徳之島についた。
晴天で広い空のなか母校にいき、後輩たちと会い、それまでの苦労とことの顛末を話すと皆わらってくれた。
アカギという大きい木の下で涼みつつ、爆笑して、そのあとサッカーして気分も吹っ切れた。
自分のゆるぎない居場所があることが知れて、自分の価値観を受け入れてくれる場所があって、
自分の傷を癒してくれる場所があることに気づかされた。
自分にとっての徳之島の存在意義
徳之島だけでなく、そこに島の仲間たちもいる前提ではあるけど、
メンタルが持たなくなり、現実逃避したいときの逃避先でもあるし、確実な回復ポイントでもある。ついでに未知の景色や空間が広がる、自分の奥を見て発見できる場所でもある。
いまの自分の重要な方針のいくつかはここで見つけた。
星を見ながらだったり、登山しながらだったり、海中から太陽を見ながらだったり。
・人生に生きる意味なんてない。だから自分のやりたいように満足できるようにやる。
苦しいイベントや辛いイベントでさえこの星で感じれることは1つのアトラクションだ。
・ユーモアだけはそれを求め続けても問題ない、そしてそれは人それぞれで固有のもの。
・日本では憲法上の公共の福祉に反しない限り、自由だ。勝手に見えない檻で縛っているだけ。すり抜けよう
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